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書籍『ファミコンとその時代』への疑問点 (アタリ社家庭用ゲーム機関連) [レビュー]

ファミコンとその時代

ファミコンとその時代

  • 作者: 上村 雅之
  • 出版社/メーカー: エヌティティ出版
  • 発売日: 2013/06/28
  • メディア: 単行本


書籍『ファミコンとその時代』より、第一章から第二章にかけてのアタリ社家庭用ビデオゲームに関する記述の中で、特に疑問を感じた箇所への私的見解を取り急ぎ書き留めてみました。
書籍全体の感想は後日、別記事にて公開させていただきます。



 1975年(昭和50年)、完成した家庭用ビデオゲームを「Home PONG」の名称で全米に売り出すことが決定された。 (p.38)

“Home PONG”は正式な商品名ではない。家庭用PONG はまず1975年にシアーズ社を通じて、そして翌1976年にはアタリ社自身からも販売されたが、両者とも商品に記載されている名称は単に『PONG』である。
参考までに、家庭用PONGの画像を掲載しているWEBサイトを以下に挙げる。
Atari Home Pong
Pong-Story : Atari home PONG systems


 
 「アタリ・ビデオコンピュータ・システム(VCS)」と呼ばれるカセット式ビデオゲーム機はCPUに6502を採用(後略)。 (p.50)

正しくは6502のコスト削減バージョンであるMOS 6507。


 
 こうして、1977年(昭和52年)10月にワーナー・コミュニケーションズに買収されたアタリ社は、すでに開発を完了していたVCSの商品名をアタリ2600に変更して小売価格200ドルで販売をスタートさせた。 (p.53)

悪文。本書p.51でも述べられている通り、アタリがワーナーに買収されたのは1976年。77年10月とはVCSの販売を開始した年月を指すので、“ワーナー・コミュニケーションズに買収された”の文は不要であろう。
また、アタリがVCSの商品名をアタリ2600に変更したのは1977年ではなく、正しくは1982年。


 
 アタリ社では親会社のワーナー・コミュニケーションズから新社長のレイ・カサールが1978年末に送り込まれ、アタリ2600の不良在庫問題の解決および開発体制の見直しが行われた。 (p.54)

レイ・カサールがアタリ社に送り込まれたのは“1978年末”ではなく、正しくは1978年2月。また、カサールに与えられた役職は家庭用部門(Consumer Products Division)のPresidentなので、訳語としては“社長”ではなく事業本部長が適切。
尚、カサールがアタリ社の最高経営責任者に就任するのは1979年のことである。



 その後、アタリ社が開発してコイン式ビデオゲーム市場で成功を収めた「アステロイド」や、(中略)インベーダーに続き日米のコイン式ビデオゲーム市場で成功を収めた「パックマン」が、次々にアタリ2600で遊ぶことができるカセットとして販売されたことで、1982年末には合計2500万台の販売を達成することに成功している。 (p.55-56)
 
正しくは約1000万台。


 
 また、新社長カサールが決断したコイン式ビデオゲームのヒット作をカセット式ビデオゲームへ移植するという戦略は、今から見ると極めて妥当な戦略であった。しかし問題は移植したヒットソフトのうち、アタリ社が開発したのはアステロイドのみで、インベーダーやパックマンなどはすべてアタリ社以外で開発されヒットしたゲームであったという事実である。つまり、アタリ社自身のビデオゲーム開発能力にすでに翳りが出ていたことを表していたのだ。 (p.57)

誤った認識に基づいているために空論と化している記述。
上に挙げた引用部分だけでは少々わかりにくいが、どうやら著者は70年代後半から80年代前半のアタリ社コイン式ゲーム(業務用ゲーム)は『アステロイド』しかヒット作が存在せず、そのためVCSソフトの販売展開を他社業務用ゲームからの移植に頼らざるをえない状況にあったと主張しているように見受けられる。
これは明確な誤りと言えよう。

なぜなら、この時期のアタリ社業務用ゲームは『アステロイド』の他にも、『ミサイルコマンド』『ウォーロード』『センチピード』『バトルゾーン』など消費者から広く支持された優れたゲームが多数存在するからである。これらのゲームは後にVCSにも移植され、特に『ミサイルコマンド』は100万本以上の販売本数を記録した。
即ち、自社業務用ゲームのヒット作が少ないことを理由にアタリ社の”開発能力にすでに翳りが出ていた”とする本書の分析は、その根本となる前提が間違っているのだ。

とはいえ、この時期のアタリ社が問題を抱えていたことは一面の事実である。著者も指摘しているように、ワーナー傘下での組織体制を嫌って有能な開発者が多数流出した(p.58)。とりわけ影響が大きかったのは、業務用部門よりもむしろ家庭用部門である。
その理由は、業務用ゲームは複数人が開発に携わるチーム制であったのに対し、当時の家庭用ゲームではただ一人の人間がゲーム開発の全てを担当することが一般的であったからだ。

ただし、ビデオゲームの開発能力とは、革新的な製品を創造することだけが全てではないと考えることもできる。
自社由来であろうが他社由来であろうが、業務用ゲームを家庭用機向けに上手く変換しヒット作に仕立てあげることもまた、開発能力の別の側面と言えよう。現に著者は、VCSの競合機として登場したコレコ社のコレコビジョンが、任天堂の『ドンキーコング』を見事に移植した点を肯定的に評価している(p.61)。

いずれにしても、アタリ社がインベーダーとパックマンというビデオゲーム史に燦然と輝く歴史的タイトルの移植販売権を首尾よく獲得し、VCSの販売を推し進める上で極めて恵まれた立場にあったことは間違いない。



*斜体、およびダブルクォーテーション(“”)で囲んだ文は全て『ファミコンとその時代』からの引用。ただし、漢数字をアラビア数字に、全角アルファベットを半角に変換した。
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