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ナーシャ・ジベリの会社はアタリショックの影響で倒産したのか? [レトロゲーム]

 アメリカでゲーム会社を設立するもアタリショックの影響で倒産。その後、世界を放浪する。そんな中でスクウェアの坂口博信氏と知り合い同社に入社。ファミコンのFFシリーズを手がけた後、ふたたび放浪の旅に出たという異色の経歴を持つプログラマー。
バーチャルコンソール 2009年7月 ナーシャ・ジベリの話 (ファミコンのネタ!! )

アタリショックで放浪してたプログラマーがナーシャ。
坂口と宮本紹介されて、坂口のゲームが好きだったからスクウェアに入社。*注
FF3でノーチラスに影がつけられないとスタッフが悩んでいたら、
いとも簡単につけた上、8倍速移動まで実現し、スタッフを驚嘆させたらしい。

ガチで天才だと思うゲーム関係者 (ゲースレVIP)



“ナーシャ・ジベリの会社はアタリショックの影響で倒産した”と書かれているblogやWEBサイトをいくつか見かけました。


nasir_gebelli.jpg
Nasir Gebelli (MobyGames)
ナーシャ・ジベリ (Wikipedia)

ナーシャ・ジベリ――1957年生まれ、イラン出身のアメリカ人。「とびだせ大作戦」「ファイナルファンタジー」「聖剣伝説2」など、80年代後半~90年代前半のスクウェア作品を担当したことで知られる伝説的なプログラマーです。しかし、WEB上をざっと見てみたところ、“スクウェア以前”のナーシャについて具体的に書かれた日本語の記述はほとんど存在しないように思えます。

ゲーム開発者としてのナーシャ・ジベリのキャリアは、Sirius Software(シリウス・ソフトウェア)より始まります。1980年、カリフォルニア州サクラメントでコンピュータ販売会社のセールスマネージャーを務めていたジェリー・ジュエルと共に、ナーシャが設立した会社です。
ナーシャはそのプログラマーとしての才能を、CPUに6502を採用したApple IIで遺憾なく発揮します。彼が手がけた初期のSirius作品の中でも、特に好評を博したのが固定画面STGの「Space Eggs」とサイドスクロールSTGの「Gorgon」でした。




見ての通り、前者は日本物産の「ムーンクレスタ」、後者はウィリアムスの「ディフェンダー」の影響下にあることは明白ですが、ナーシャの卓越したプログラミング技術に裏打ちされたゲーム達は賞賛の的となりました。
余談ですがSirius Software共同設立者のジェリー・ジュエルは、当時を振り返って次のように述べています。

 シエラやブローダーバンドなど、コンピュータゲーム会社の誰もがお互いのことを知っていた。たとえば我々が車のレースゲームを発売しようとすると、そのことを他社に伝えた。そうすると、他社はレースゲームを見合わせるというわけだ。

――『HIGH SCORE!: the illustrated history of electronic games 2nd edition』 (2004年)

クローンゲームを堂々と売り出していたことも含めて、80年代初頭のコンピュータゲームビジネスはなんとも鷹揚な時代であったことが伺えます。

ただしナーシャは81年にSiriusを離れ、自身の名を冠したGebelli Software(ジベリ・ソフトウェア)を新たに設立しました。ナーシャが得意とするApple II以外に、Atari400/800やIBM-PC対応ゲームをいくつかリリースするも、1984年に会社を閉じています。
その後、約二年間のブランクを経て、ナーシャ・ジベリは極東のゲーム会社と巡り合うことになりますが、それはまた別のお話。

さて表題の問いに戻りますが、ナーシャ・ジベリの会社はいわゆる「アタリショック」と呼ばれるゲーム市場崩壊の影響で倒産したのでしょうか?
結論から言うと、まさしくその通りです。

まずナーシャが最初に設立したSirius Softwareについて。
ナーシャが81年に独立して以降、Siriusはホームコンピュータ以外にも、新たにアタリVCSやコレコビジョンなど家庭用機向けのゲーム開発を請け負っていました。しかし市場崩壊のあおりを受けて、多額の未回収金が発生。84年に経営破綻しています。(日本語版wikipediaのナーシャ・ジベリの項には、Siriusは“1981年に倒産”と書かれているがこれは誤り。ナーシャがSiriusから独立したことを誤解しているのでしょう)

ともあれSirius Softwareは、83年~84年に起きた家庭用ゲーム市場崩壊の影響を受けたことは間違いありません。ただし繰り返しになりますが、当時既にナーシャは独立していました。Siriusを指して“ナーシャ・ジベリの会社”と呼ぶのはかなり語弊がありますね。

では、Gebelli Softwareはどうであったのか?
いわゆる「アタリショック」に関して、我が国ではもっぱらアタリ社の販売戦略の失敗に起因する、家庭用ゲーム市場の急激な縮小との認識が広く信じられています。
しかしあまり知られていない事実ですが、市場崩壊はホームコンピュータ向けのゲームを販売していた会社にも影響を及ぼしていました。例えば82年にエレクトロニック・アーツを創業したトリップ・ホーキンス氏は、小売店の多くがホームコンピュータ向けも含めてビデオゲーム全般の取り扱いを止めてしまったと証言しています。
すなわちGebelli Softwareもまた、間接的にではありますが家庭用ゲーム市場崩壊の犠牲者であったのです。


最後に蛇足ながら、ナーシャ・ジベリに関するトリビアを一つ。
若き日のスティーブ・ジョブズとビル・ゲイツを描いた映画『バトル・オブ・シリコンバレー』には、1981年に飛行機事故に遭ったスティーブ・ウォズニアックが病室でビデオゲームに興じているシーンがあります。

PIRATES_OF_SILICON_VALLEY01.jpgPIRATES_OF_SILICON_VALLEY02.jpg

映画の中でウォズが握っているのはアタリVCSのコントローラー、そしてテレビに映っているのは架空のサイドスクロールSTGなのですが、実はこの描写は元ネタが存在します。
再び、ジェリー・ジュエルの回想から。

 第三回目のウエストコースト・コンピュータ・フェアでのことだ。ウォズニアックがやって来て、私とナーシャに感謝したいと言うんだ。
 ウォズニアックはこう言った。「先日、私は飛行機事故で記憶を失った。そして療養中の私のところに、AppleとSiriusのゲームが持ち込まれたんだ。あなたたちのゲームは、私の記憶を回復させる手助けになったと思うよ」

――『HIGH SCORE!: the illustrated history of electronic games 2nd edition』 (2004年)

実際にウォズがプレイしたのは、ナーシャ・ジベリが作ったSiriusのゲームだったのです。


*注 ”(ナーシャが)坂口のゲームが好きだった”は間違い。逆に、坂口がナーシャのゲームを愛好しており、スクウェアへの入社を大いに喜んだというのが正しい。

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コメント 4

Thunderbolt

loderunさんの記事はいつも素晴らしいですね。私の知識なんか足元にも及びません(T_T)
Sirius Softwareのことは知識として少し知っていましたが、Gebelli Softwareは全く知りませんでしたので勉強になりました。

by Thunderbolt (2012-07-06 14:29) 

Thunderbolt

連投失礼。
「ゲーム開発を請け負っていました。しか市場崩壊のあおりを」
となっているのは脱字だと思うのですが・・・
重箱の隅を突いて申し訳ない。
読んだら削除しちゃってくださいm(_~_)m
by Thunderbolt (2012-07-06 14:37) 

loderun

ご指摘ありがとうございました。
うーん、実は僕自身もGebelli Softwareは名前を知っている程度なんですよ。海外の文献でもほとんど言及されていないことに加えて、ナーシャ氏自身、あまり当時のことを証言されていないようです。

by loderun (2012-07-06 19:06) 

重荷

ほええ、そんなことがあったんですか。
by 重荷 (2012-07-12 12:46) 

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